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第6弾・『ブラミルク@秦野』~秦野市古代乳文化の里・醍醐道をブラブラ歩く~

9月30日、全国各地から27名の参加者が神奈川県秦野市に集合
 2015 年から始まったブラミルクの第6弾『ブラミルク@秦野』は、「古代乳文化の里・醍醐道をブラブラ歩く」をテーマに、2023(令和5)年9月30日(土)に、神奈川県秦野市で開催され、遠くは北海道や岡山県からの参加者 27 名が秦野市本町公民館に集まりました。
 開会にあたり、ミルク 1 万年の会の前田代表世話人は、「これまでのブラミルクは明治以降の酪農乳業史をテーマに、特に東京を中心に開催してきたが、今回は、曽谷そや みち、乳牛ちゅうし 通り、醍醐だいご みちなど、古代乳文化にゆかりのある地名が現存している秦野(はだの)の街を散策し古代に思いを馳せるとともに、近代の酪農生産を支えてきた地域農業の変遷についても秦野をテーマに考えてみたい」という開催趣旨について説明しました。

まずは、本町公民会で、秦野の歴史と古代乳文化について座学で勉強
 ついで、2題の講演が行われました。 1題目は、秦野市歴史博物館の大倉技官より、秦野という地名の由来、近世以降の秦野の変遷、近代水道やたばこ生産など秦野の近代における産業発展のトピックについて、講演が行われました。中でも参加者が関心を寄せたのは、秦野の中心部(旧・秦野村)にある、古代乳文化に関連する地名の由来でしたが、実際に秦野が村落として歴史の記録に登場するのが近世の前期で、古代乳文化との繋がりを明確に伝える記録がないこと、秦野の地名から想像できる渡来人との関係も諸説があり、この地域に渡来人一族である「秦氏」が居住していたのかは曖昧であることなども説明があり、古代史へのロマンが広がりました。



秦野の古道を散策しながら、古代へ想いを馳せる
 講演会の終了後は、参加者一同で、古道に従い歩きながら、蘇を造った集落であろうという「曽屋みち」の石柱の説明を受け、井之明神水(曽屋水道発祥の御神水)を見学しました。
 曾屋神社では、参拝のため参加者全員で社内に登殿し、「ミルク一万年会の発展と参加者家内安全」祈願を受けた後に、守山宮司より、曾屋神社の歴史(元々は、天長年間に鎮座された井之明神社と称し、明治6年に村内の上乳牛村の加羅子神社など6社を合祀し曽屋神社になり150年の歴史がある)についてお話を聞きました。お話の中でも、曽谷村乳牛地区では乳牛が飼育され、延喜式えんぎしき (平安時代中期に編纂された格式:律令の施行細則で、三代格式の一つであり、律令の施行細則をまとめた法典)にある「相模の国の貢蘇16壺」に秦野が該当するのではないかということが紹介されました。
 参拝後には参加者全員に「曾屋神社御守護」のお札及び「御守」が配付され、大変良い思い出になりました。(写真:曾屋神社の本宮前で参加者一同記念写真)



 曾屋神社の前には、(有)かまか商店が 2022年3月からオープンした「かまかフェ楽蔵らくら 」があり、参加者はここで休憩しました。(有)かまか商店は、明治6年(1873年)創業の古いお店で、現在は、秦野名産の落花生を加工し販売されています。お店の隣に古い土蔵を改装したカフェがあり、飲み物や落花生入りのソフトクリームが販売されています。(有)かまか商店の杉山社長に、すぐ近くにある曽谷水道の歴史をご説明いただく郷土史家の方をご紹介いただきました。(写真:かまかフェ楽蔵)



日本三大近代水道のひとつ「曽谷水道」跡地を見学
 曽谷水道記念公園は日本における三大近代水道にひとつ「曽谷水道」の浄水場が設置されていた場所であり、“まほら秦野みちしるべの会”の横山さんから水道の歴史について説明をいただきました。お話によると、曽屋水道は 1890(明治 23)年に全国で3番目に完成。陶管を利用した総延長5㎞に及ぶ水道でした。この陶管や貯水池は 1923(大正12)年の関東大震災で破損しましたが、その時に陶管が鉄管に、貯水池が地下式排水池に変わりました。「明治23年に竣工した、全国でも極めて早い時代に建設された水道施設」として、貴重な価値が認められ、平成29年10月13日に国登録記念物(遺跡関係)に登録されました。近代水道施設として登録記念物(遺跡関係)での登録は全国で初めての事例だそうです。なお敷地内には秦野水道 100 周年記念像や当時の配管施設などが展示されていました。
(写真:曽谷水道記念公園で横山さんからお話を聞く参加者)



「曽屋みち」「乳牛通り」「醍醐みち」などの石柱がある古道を歩く
 古代乳文化を象徴する 「曽屋みち」「乳牛通り」「醍醐みち」などの石柱が設定されている道は、江戸中期の道がそのまま残る古道です。乳牛通りの石柱は2か所に設置され、小さな提示看板には「乳牛」の名前が記されています。現在の町名に混在していますが、嘗ての地域名が、例えば乳牛第一防災会など消化器収納箱といった具合に至る所に残され往時を偲ぶことができます。
乳牛地区に鎮座していた八幡、加羅子神社(現在跡地はアパートになり石と樹木がある)は、現在曾屋神社に合祀されています。乳牛集落の人は今でも曾屋神社の例祭には必ず加羅子神社の神輿を担ぎ巡行するという話です。
 乳牛公会堂の玄関脇には神社の神輿を修復した修復費協賛者の一覧表の記念碑があり、今でも加羅子神社や神輿を守っています。なお、乳牛地区はかつて平地の山林であり、さらに畑作地帯で古道沿いの民家があったと言われていましたが、現在は住宅街であります。その狭道を下ると醍醐で、現在「醍醐みち」という石柱があり往時を偲んでいました。
(写真:散策中の参加者の様子、古道に設置された石柱)





 9月末日とは思えない暑い日でしたので、さほど長くない古道の散策も結構疲れました。参加者は帰りに、秦野駅近くの居酒屋で長めの休憩をして帰路につきましたが、全員元気で、古代乳文化にふれながら「楽しく・ためになる」ミルク一万年会のモットーを満喫した小旅行となりました。

(終・文責:矢澤・菅原・前田)