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ミルク1万年の会 2024交流会~私が考える酪農とミルクの未来~

ブラウンスイスと歩むテロワールまであと牛歩~小さな山村の新しいエコ・フードシステムづくり~
酪農家 藤田春恵さん(岩手県西和賀町)

牧場の環境や取り組み
 私は2代目の酪農家です。非農家であった両親が秋田県から開拓で入植した牧場に育ち、小さいときからずっと酪農をやりたいと思ってきました。大学で畜産を学び1年間アメリカで酪農研修。夫は会社員ですので将来は後継者として1人で牧場やっていく予定です。
 牧場のある岩手県西和賀町は秋田県との県境。現在人口が約4,700人で典型的な人口減少地域です。人口の半分以上が60歳以上の町で、町にはコンビニがなく、自然はとても豊かですが豪雪地帯でいつまでも雪が残っていて農地が使える期間が少ない地域です。そうした中で、冬に備えた保存食作り(春にとったゼンマイを天日干しをしたり冬の大根を作って凍らせるなど)の食文化が今も普通の日常の中にあります。
 現在、牧場の仕事は父母私の3人で、約35ヘクタールの草地があり、牛は全部で60頭弱。飼い方はフリーストール・ミルキングパーラー。若い牛たちは春から秋の間は放牧し、自分の牧草地で牧草はすべて賄えています。飼っている牛はブラウンスイスというスイス原産の乳肉兼用種で、牛乳も出るけどお肉もいっぱい取れるのが特徴です。身体が頑丈、性格は温厚で、飼いやすいのがすごくいいです。乳牛なのにお肉がおいしいということで、それを強みにできないかと思って、2020年に牛肉販売事業会社・「左草ブラウンスイス牧場」を起業しました。

「左草ブラウンスイス牧場」の取り組み
 「左草ブラウンスイス牧場」では、まず父の牧場から乳牛を市場価格の倍ぐらいで買います。高く買って、酪農家にブラウンスイスを飼ってもいいことある仕組みを作りたいのです。ブラウンスイスを肥育して出荷し、その肉のうちヒレとかモモをブロックの塊で飲食店とかに販売し、バラとかスネみたいなそのままでは食べづらいところはお肉屋さんに持っていってスライスしたり挽肉にしたりして一般向けにも販売しています。最近は学校給食でも使っていただいています。それでもまだ3分の1ぐらいは赤身で硬いしスジがあるので、それは近くの食肉加工の工房で加工して販売しています。加工品は大体10種類ぐらいのラインナップで、なるべく添加剤を使わずに牛肉そのものの味を楽しんでもらうことにこだわっています。
 何と言っても、まずは地元の西和賀の人に一番食べてもらいたいと思ったんですけど、地元は、もともと川魚と山菜しかないので、まずちょっと東京に行って、有名になるところから始めようって思って、イベントに参加したりとか新聞や雑誌に掲載されたり、Facebookを通じて発信を続けてきました。そういうふうにしているうちに、うちの肉を使ってくださる飲食店の人たちが情報発信してくださるようになっています。
 また、放牧地が道路端にあるので、車で通り過ぎる時に足を止めてくださる人もいます。放牧する目的は主に省力化のためなのですけど、そういう思いとは別のところで消費者の方が、こういうところで飼っていると健康なお乳や肉になるんだなと思って購入してくださいます。また、通常、乳牛の肥育期間はオスだと20ヶ月ぐらいですが、うちは放牧で草を食べさせてゆっくり肉付けようと思って大体30ヶ月ぐらい肥育して出荷します。そういうことを続けておりましたら、岩手大学の農学部の先生からご連絡いただきまして、乳肉兼用種では珍しい経産肥育を放牧で育てているので、ぜひ調べさせてくださいというお話をいただき、ブラウンスイスのお肉の成分分析などをしました。その結果、コレステロールとかを下げ血液サラサラ効果がある不飽和脂肪酸がたくさん含まれているお肉だということや、お肉の酸化するスピードがすごく抗酸化作用が高いお肉だということもわかりました。ホルスタインのお肉と比べて、やわらかさがあってジューシーだということがわかり、おいしい上にさらに健康機能にもすぐれたお肉の可能性があり、これは面白いねということで、今後も継続して研究をやっていく予定です。



地元の学校給食でブラウンスイスの肉が使われるようになった
 うちの地元には、湯田牛乳公社という乳業さんがありまして、学校給食の牛乳を供給されています。もちろんうちの牛乳もそこに出荷しています。牛乳を出す乳牛とお肉になる肉牛については、よく区別がつかず何となくイメージされているんじゃないかなって思うんですけど、乳牛はお乳を出す役目を終わったらどうなるかっていうところまで子供たちにちゃんと知って欲しいなっていう思いがあり、うちの肉を持っていってそれを学校の方にお話ししたら、大変共感してくださって、去年から本格的に西和賀町内小中学校の学校給食で利用されています。今年は、西和賀の子供たちは、2ヶ月に1回ぐらいのペースで、給食でうちの肉を食べています。町外の保育園の方からもお肉の注文が来まして、そちらの方も生産者まで遡れる給食を作りたいと。米とか野菜とかは結構誰々さんが作ったっていうことをいえるんですけど、肉をそこまで遡るのはなかなか難しいっていうところで、たまたま私がこういうことをしているっていうのを知っていただいて、お話をいただきました。

「にぎやかな過疎」の新しいネットワーク
 自分がこうした取り組みを4?5年前に始めた頃に、ちょうどそのタイミングで西和賀町にいろいろな事業が始まりました、今までなかったカフェができたり、不動産の会社もなかったのですが、それをやる若い人が現れたり、地域おこし協力隊で都会から来てくれた人たちがクラフトの木工とか、鉄の加工とか、陶芸やったりとか。あとは羊飼いまで誕生するという、本当に新しい仕事が同世代を中心に増えてきました。
 こういう人たちのネットワークの中で、「今日牧場に行きたいって言って1人だけど、春恵ちゃん大丈夫かな?」みたいなそんなことをしながら、人口4,700人のほとんどが年寄りの町なんですけど、地域の同世代の人たちと一緒にやっています。
 こうした新しい動きを「にぎやかな過疎」と自分たち名付けています。そうした中で、強く感じるのは、自分の地域の食べ物は自分で調達できる仕組みを作るべきなんじゃないかということです。

西和賀的牛肉テロワール~小さくて強い酪農を目指す~
 日本では本当に珍しくて貴重な牛だけど、西和賀町民は当たり前に食べているよ、みたいな世界を作っていきたいなと思います。なので、資料の最後に、西和賀的<牛肉テロワール>って書いてしまったのですけど。今後も取り組みをやっていきたいと考えていますが、それをやるには、やっぱり酪農家である必要があるので、父母がリタイヤした後、1人で牧場やっていく作業体系を考えていかなくちゃいけなくて、やっぱりそれは放牧なのかなって。今後は、経産牛のお母さん牛も放牧で飼いたいなと思っています。それには、いま搾乳する牛が30頭いるのですけど、もっと減ってもいいかなと思っていて、その代わり乳と肉をもっと活用していってそれを新たな経営の柱でしていきたいなと考えています。 うちは山の中なので、牛乳を搾るだけでやっていけるほどまとまった牧草地っていうところもないので、いろいろな収入の方法を考えて、それ全体で酪農経営をしていきたいと思っています。そして、地域の人たちとたくさん繋がって、自分の商品やブラウンスイスの牛肉を売ったり、地域全体が盛り上がって、みんなで幸せになろうよ、みんなでやっていこうよ!っていう取り組みを継続してやっていきたいと思っています。
 結論は、大きくいっぱい生産する酪農ではなく、小さいけれども強い、いろんな外部の要因とかに振り回されないような酪農経営を自分が目指していきますので、皆様にもぜひ応援していただけたらと思います。